留年はするべきでない(いまさら)

これは1回目の続きになる。現状とは前々回にも書いた通り単位を回収し卒業することと、就職することの2つのノルマを抱えていることである。

 

まず、現状から考えられる4つの未来パターンを想定する。A,卒業し、就職する。B,卒業し、就職しない(できない)。C,卒業しない(できない)、就職する。D,卒業しない、就職しない。全部で4通り考えられる。

 

次に最悪のケースを想定する。自分の意思を考慮しなければAは最も望ましいパターン、Bは望ましくはないが現状から自分の力量、熱量、思考の方向性を考えると一番可能性が高いパターン。Cは考慮に値しない、もしCの状況になった場合、これは自分から降りる。俺は九州大学卒の資格を捨て、より純度の高い自力で生きていこうと思うほどのバイタリティは持ち合わせていないし能力もない。そしてD、この中から自分が最悪だと考えるケースはDだ。Dはさらに分岐が存在しており、留年を続行するパターン、高卒(九大中退)として社会に出るパターン、ニートまたは生活保護受給者になり他者の救済を得て生きていくパターンがあり、ここを掘り下げても仕方ないので結論だけ書くとDの中で選ぶのは留年を続行するパターンだ。これを書くと、「ああなるほど、コイツもう一年遊べるドンなんだな」と思われるだろうが、実はそんな気もない。そんな気力もないといったほうが正確かもしれない。

 

ここでタイトルを回収しよう。自分が実際に留年をしてみてわかったのは「留年はするべきじゃない」ということだった。何を今更と思われるかもしれないがおそらく想像されていることと微妙にニュアンスが違う。もっと真意に近い言葉を選ぼうとするなら、「自分には留年の適性がない」といったところか。もっとデカいこと言おうとするのなら「多くの人は留年の適性を持ち合わせていない」とさえ感じている。

 

元々留年という決断を選択をした理由は、就職ウンヌンの生む面倒、その決断の延長、自分の今やりたいこととの兼ね合い(ここははぐらかす)、親と生活することへの抵抗、そんなところだった。そして親の顔色を窺い、この決断は「通る」という確信があったので交渉し、親も渋々承諾し、夏休みの一年追加が決まった。

 

ただ実際留年生活をしてみるとわかるのが、留年生活は大学生活とは別物であるということだ。仲が良かった友人は卒業し、福岡からいなくなった(一部なぜか卒業したはずなのに近くにいる謎の人生街道を走っているヤツもいるが)。こうなると人間関係が極めて希薄になる。ほとんど知り合いに会うこともない、見ず知らずの人間に話しかけることは現代日本では不自然な様子であるし、リアルコミュニケーションをとることはほとんどない。加えて例のヴァイルスのせいで不必要に他人と接触しないという流れは加速している。そんなわけでほとんどの時間を家の中で一人でいるという状態になる。どこかの国で、何もない真っ白な空間に人間を入れて観察していると数十時間のうちに発狂してしまうという研究があった気がする、真偽のほどは定かではないが今の自身の状況はソレにかなり近いと言える。もちろんその研究とは違って、自室にはインターネット回線が備わっており、常に膨大な量の情報に接続できるが、インターネットから得られる情報なんてものは所詮長方形の電子機器から視覚的に得られる光の集合に過ぎない。それまでの人生では行われていた、自分と同種であるホモサピエンスが目の前で何らかの目的のために活動しており、そのことで全身から得られる自分が集団の一員であるという自覚、インターネットではその自覚を得ることができない。そういう状況に身を投じ続けていると「自分は何のために生きているのか」というやりがちな沼にハマってくる、疑問が解消されなければ次第に自分の人生に対するやる気も失せていく。こういう状況にハマってしまったときに上手く対応しながら生きていくことはけっこう難しい、おそらく多くの人は抜け出すのに多くの時間を使うことになる。だから、深そうな沼には最初から近づかない、留年はしないほうが良いという結論に至った。逆に留年状態に適応できるのは、こういう沼にハマらない自分大好き人間とか人生の目的を臆面なく口にできるエウレカ系だったり、沼にハマったことを好意的に楽しめる哲学的思考の素養を持つ人間ではないかと思う。(蛇足だが、恋愛や結婚に関しても留年を経て考えが少し変化した。結局生きる意味なんてものは、本人が本人によってかつ客観的に自分の中に見つけることは不可能である。ただなんらかの形でパートナーがいれば自分以外の人間の方向に生きる意味、活力の根源を託すことができ、それが他者との連関のなかで生きる負担を多少減らしてくれるのではないかと考えるようになった。)

 

長くなったがそんなわけでCとDの選択肢は自分の中で選択肢にない。来年の留年は無いということだ。これはこの大学と決別する決意だ。ただ、就活の進捗次第ではBの選択肢は消えないだろうし、親に文句言われながら来年就活しているかもしれない。一つ言えることはこんなこと書いている間に就活しろってことだ。