例年がどうなのかは知らないが聞いた話によると今年は内定者が出るのが早いらしい。キャリタスの調べでは4月1日時点で1つでも内定を持っている人の割合が38%で、当然ながら俺は62%の方である。「じゃあはよ就活すればええやん」という指摘が飛んできそうだがどうにもうまくいかない。俺はコイツへの解答を持ち合わせていないからだ。

 

じゃあ「いつもの」をやろうか。俺にはやりたいことがない。少なくとも就活空間や社会人空間においてやりたいことがない。これを俺が言ったときの反応は2つに分かれる。1つは「そだねー」パターン。皆やりたくない気持ちを押し殺して○○やりたいですと意思表明して前に進んでいるのだから君もそうすべきだというヤツ。2つ目は「よーく考えよう」パターン。君には君も知らない秘めたる可能性がある。その可能性を全面的に信頼して内なる自我、真なる自我を放出せよ、さすれば道は拓かれんというヤツ。2つ目の「真なる自我系」はお前が俺の何を知って偉そうな口きいてんだコレという気分にさせてくれるからどちらかというと1派の肩を持ちたい。

 

思うに就活というのは2パターンあって、内定をヒットとみなすと来るボールに対してバットを当てるだけのヒットを狙うスイングと、フルスイングした結果ヒットだったりホームランになったというスイングの2種類があるのではないか。俺はこのどちらのスイングでバッターボックスに立つべきなのか決めかねているのだが、今のところ2ストライクまではフルスイングをして、追い込まれてから当てるヒットを考えようと思っている。もう3アウトチェンジしているという忠告は聞き入れない。

 

まずフルスイングする選択肢を考えるのだが、正直よくわからない。ゲームが好きだからゲーム業界と考えてはいるが、ゲームで遊ぶのが好きなのであって、ゲームを作るのが好きなのではないということも同時に理解しているので心苦しい。この弱点を突かれたら一撃死するような脆弱性を保ったままスーツを着たオッサンの前に立っていいのだろうか。

 

次に当てるスイングを考える。正直生きていくだけの金と楽しいことを楽しめるだけの時間があればそれ以外のことは気にしていない。なんだったらこれさえなくてもいい。俺は明らかに平均以上の体力をもっているのである程度の大変さも乗り越えられるし、体育会系特有の「苦しかった思い出が今となっては良い思い出」スピリッツもそんなに嫌いではない。異常にブラックでなければどうでもいい。ただこれは、俺の人生なんてどうでもいいと未来を諦めているのと同じなので極力避けたい。

 

さっきから「やりたいことがない」と連発していると、googleのAIが学習したのかyoutubeのオススメに『就活でやりたいことがないやつは新聞を読んでいないからだ』という動画が目に飛び込んできた。要は世の中の流れを理解していないから自分の立ち位置を把握できないのであるから、新聞を読んで解消せよという内容で至極全うな意見を述べているが、俺には今から新聞を読んで世の中の位置を探る時間なんて持ち合わせていない。

 

こんなクソくだらない苦しみから逃れる方法が1つ思いついた。捨てることだ、「就活をする」という選択それそのものを。この最高に安全で最高に福祉が発達していてそれなりに豊かな国ジャパンならフリーターになっても50くらいまでなら生きていけるし、親が死ぬまでニートをするという手もある。俺には就活なんか向いてなかったんだ。仕方がなかったことなんだと自分に言い聞かせてしまえば今この瞬間にさえ俺はこのくだらない競争、共創世界から降りることができる。

 

でもまだこのすべて終わらせることができる最強のスイッチを押せないでいる。それはこの道を行くことで得られるそこそこ悪くない希望や未来を放棄することへの未練と執着がそうさせている。

 

この就活の「壁」は僕が思っていたよりもずっとずっと高かった。今までの人生の中で最も高い壁であり乗り越えられないかもしれない。24歳のガキが何言ってんだかって感じかもしれないが多分この先の人生においても今この瞬間こそ最も難しい局面の確信がある。感情が昂っているからこんなこと言っているのではない。一旦何かの組織に属してしまえばそこでの決断も成功も失敗も「組織の中の自分」に投げることができる。恋愛で失敗してもそのことで今日明日の飯に困ることはない。しかし就活という空間では生身の自分の選択の作用が生身の自分に返ってくる構造になっている。僕が仮に80まで生きるのならあと56年分の自分の手が今の自分の肩に乗っかっている。こんな重い選択には耐えられない。僕はこの「壁」を乗り越えてやるとも、ぶっ壊してやるとも言えないままぼんやり眺めている。