やりたいこと

俺は就活というものに相変わらずまともに取り組めていない。エントリーも1社も出来ていない。しかし少しづつではあるが変化してきている。最近就活について数万フォロワーいるアカウント(就活系ではない)にDMで相談した。自分のフォロワーに相談しないのは俺の人間性を知りすぎているためである。仮に相談しても「世の中そういうもの」だとか「頑張れ」くらいしか俺にかける言葉がない。だから君らには相談していない。君らが俺にできるのは俺のツイートを全部いいねする、これだけだ。

 

そんなわけで就活についてツイッタラーに相談してみたところ、以下のことが告げられた。やりたいことがないのは自分への理解度や理想への解像度が低いからである。志望動機を作成するには自分と相談するしかない。こういうことらしい。現時点で33人しかフォロワーがいない俺のためにウン万もフォロワーがいる人が親身になって回答してくれているのは非常に有難い。超絶クソ有難い。がしかしこの方向性の回答が飛んでくるのは前回の『壁』で書いた通り想定内であった。申し訳ないがこの回答では精神レベルが中学生の俺を満足させることは出来ない。でも仕方がないことだ。相談に応じてくれた人は俺の人間性を知らなかったのだから。抽象度の高い事柄には同じ次元でしか物事を語れない。

 

これだけ諭されたにもかかわらず、俺は未だにやりたいことを土台に志望動機を作るというのは少し無理があると感じている。それは働く前から会社の全貌を知ることは出来ないからである。なぜこの業界?業種?会社?部署?という疑問に究極的な解答を出すことは出来ない。具体的な労働と抽象的な就活の場では齟齬が発生するはずだ。どういう仕事がしたいと質問されても「そんなん仕事の内容によるやん」「そんなん一緒に働く人によるやん」とどうしても答えてしまう。結局やりたいこと→志望動機の考え方も就活に酔っているか自分に酔っているかのどちらかなんじゃあないかと思ってしまう。

 

こういうズレが生まれてしまったのは「やりたいこと」の前提や立ち位置が違うからなのではないか。「やりたいこと」を広く欲求と捉え、心理学者マズローの視点からやりたいことを考えてみる。マズローの欲求5段階説によると欲求というのは下から順に生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現の欲求という5段階から成り立つ。まぁ君らはお勉強いっぱいしてるだろうからこんなことわざわざ書くまでもないか。

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俺の「やりたいこと」は主に下2層の自分のための欲求に依拠しているのに対し、アドバイスをくれた人の「やりたいこと」は上3つ(自己超越含むと4つ)に依拠している。この設定ズレが結論のズレを引き起こしたのかもしれない。

 

これを見ている皆は就活を終わらせるために「やりたいことがありまぁす」と声高に叫んだはずだが、その後「やりたいこと」をやれているのだろうか。それとも場に与えられた「やりたいこと」に乗っかってポジションを作り、俺がまだ就活空間に抵抗しているのをアホらしいとほくそ笑んでいるのだろうか。俺は抵抗しているのではなく、モノを知らんがゆえに順応の仕方がわからないだけなのだ。

 

働きたいという気持ちはある。それは親から独立して生活することで人生の気兼ねなさを獲得するためである。今より少し自由でありたいと思うがそのためには不自由な就活を抜けて不自由な社会人になる必要がある。不自由の種類が変わるだけでどこへ行こうと自由にはなれないのかもしれない。このまま不自由を生き続けるしかないならせめて不自由の質くらいは管理できるようになりたい。

 

 

 

 例年がどうなのかは知らないが聞いた話によると今年は内定者が出るのが早いらしい。キャリタスの調べでは4月1日時点で1つでも内定を持っている人の割合が38%で、当然ながら俺は62%の方である。「じゃあはよ就活すればええやん」という指摘が飛んできそうだがどうにもうまくいかない。俺はコイツへの解答を持ち合わせていないからだ。

 

じゃあ「いつもの」をやろうか。俺にはやりたいことがない。少なくとも就活空間や社会人空間においてやりたいことがない。これを俺が言ったときの反応は2つに分かれる。1つは「そだねー」パターン。皆やりたくない気持ちを押し殺して○○やりたいですと意思表明して前に進んでいるのだから君もそうすべきだというヤツ。2つ目は「よーく考えよう」パターン。君には君も知らない秘めたる可能性がある。その可能性を全面的に信頼して内なる自我、真なる自我を放出せよ、さすれば道は拓かれんというヤツ。2つ目の「真なる自我系」はお前が俺の何を知って偉そうな口きいてんだコレという気分にさせてくれるからどちらかというと1派の肩を持ちたい。

 

思うに就活というのは2パターンあって、内定をヒットとみなすと来るボールに対してバットを当てるだけのヒットを狙うスイングと、フルスイングした結果ヒットだったりホームランになったというスイングの2種類があるのではないか。俺はこのどちらのスイングでバッターボックスに立つべきなのか決めかねているのだが、今のところ2ストライクまではフルスイングをして、追い込まれてから当てるヒットを考えようと思っている。もう3アウトチェンジしているという忠告は聞き入れない。

 

まずフルスイングする選択肢を考えるのだが、正直よくわからない。ゲームが好きだからゲーム業界と考えてはいるが、ゲームで遊ぶのが好きなのであって、ゲームを作るのが好きなのではないということも同時に理解しているので心苦しい。この弱点を突かれたら一撃死するような脆弱性を保ったままスーツを着たオッサンの前に立っていいのだろうか。

 

次に当てるスイングを考える。正直生きていくだけの金と楽しいことを楽しめるだけの時間があればそれ以外のことは気にしていない。なんだったらこれさえなくてもいい。俺は明らかに平均以上の体力をもっているのである程度の大変さも乗り越えられるし、体育会系特有の「苦しかった思い出が今となっては良い思い出」スピリッツもそんなに嫌いではない。異常にブラックでなければどうでもいい。ただこれは、俺の人生なんてどうでもいいと未来を諦めているのと同じなので極力避けたい。

 

さっきから「やりたいことがない」と連発していると、googleのAIが学習したのかyoutubeのオススメに『就活でやりたいことがないやつは新聞を読んでいないからだ』という動画が目に飛び込んできた。要は世の中の流れを理解していないから自分の立ち位置を把握できないのであるから、新聞を読んで解消せよという内容で至極全うな意見を述べているが、俺には今から新聞を読んで世の中の位置を探る時間なんて持ち合わせていない。

 

こんなクソくだらない苦しみから逃れる方法が1つ思いついた。捨てることだ、「就活をする」という選択それそのものを。この最高に安全で最高に福祉が発達していてそれなりに豊かな国ジャパンならフリーターになっても50くらいまでなら生きていけるし、親が死ぬまでニートをするという手もある。俺には就活なんか向いてなかったんだ。仕方がなかったことなんだと自分に言い聞かせてしまえば今この瞬間にさえ俺はこのくだらない競争、共創世界から降りることができる。

 

でもまだこのすべて終わらせることができる最強のスイッチを押せないでいる。それはこの道を行くことで得られるそこそこ悪くない希望や未来を放棄することへの未練と執着がそうさせている。

 

この就活の「壁」は僕が思っていたよりもずっとずっと高かった。今までの人生の中で最も高い壁であり乗り越えられないかもしれない。24歳のガキが何言ってんだかって感じかもしれないが多分この先の人生においても今この瞬間こそ最も難しい局面の確信がある。感情が昂っているからこんなこと言っているのではない。一旦何かの組織に属してしまえばそこでの決断も成功も失敗も「組織の中の自分」に投げることができる。恋愛で失敗してもそのことで今日明日の飯に困ることはない。しかし就活という空間では生身の自分の選択の作用が生身の自分に返ってくる構造になっている。僕が仮に80まで生きるのならあと56年分の自分の手が今の自分の肩に乗っかっている。こんな重い選択には耐えられない。僕はこの「壁」を乗り越えてやるとも、ぶっ壊してやるとも言えないままぼんやり眺めている。

僕の戦争

皆様お元気に過ごされておられますでしょうか?皆様サラリーマン生活で毎日消耗していらっしゃいますか?こちらは変わらずです。悪くも悪くも。2016年度に一緒に大学に入学した連中は新卒入社して1年経過したことになるのですが社会には無事適応できたのだろうか。特段ライン等連絡を取っているわけではないのでTwitterのつぶやきから察するに、上手く場所に適応できたやつもいればそうでもないやつもいるように見受けられる。ハハッ、ザマァ。ザマァ ザマァ ザマァ ザマァ ザマァ。とはいえ大学で一緒だったやつらからしてみれば今の俺の状況のほうがザマァなのでザマァの共食い関係にあると言えるだろうか。そもそもTwitter空間で「私、今夢に向かって一生懸命頑張ってて仲間もそれに共鳴してくれて何もかも満たされてて毎日サイコ―!!!!」みたいな言説がウケるということがあり得ないのであえてツイートされることもない。どちらかというと、焼肉の写真に「嫌いな上司でも焼くとけっこう美味い」とツイートするくらいがちょうどいいのだろう。なにが言いたいのかって言うとTwitterなんて当てになんないってことだ。

 

俺の話をさせてくれ。俺はまあご存知の通り大学を留年したわけだが留年以前と比べて改心したとかそういうことも一切なくただ毎日ボケーッとしてる。ハハッ最高だろ?最高だよ。ただ、まずいなという思いも少しだけある。どうしてやるべきこと(就活と卒業)をやれないのか一つの理由として挙げられるのが就活と単位修得の両立が俺にはできなかったからだと思う。理論上単位を取り終わった今の俺が振り返ると単位なんてその気になれば1週間用意して本気で取り組めば取れるのだから試験前の1週間だけ空けておいてそれまでの期間で就活すればよかった。なんとも小学生並みの感想といったところだが実際そんなところだった。では実際の俺はどうだったかというと、就活と単位修得の優先順位が決められず、どちらにどれだけの時間とリソースを割けば良いかわからなかった、、、、

 

 

というわけでなくただ純粋にやる気がなかった。「暖簾に腕押し」という言葉を体現していた。自分でもやらなければならないということはわかっている。客観的に見て(「客観的に見て」というフレーズが文法上正しいのかという議論をここでは無効にして破壊する)大学4年生が就職活動すべきなことくらい、ちょっと賢い小学2年生でもわかることだ。俺はちょっと賢い小学生にさえ敗北したのか。いや俺の方が百マス計算はえーから、24歳をなめるなよクソガキが。

 

ただわからなかった。どうしたらいいのか。色んな意味で。とりあえず「色んな意味で」と言葉を濁しておけば読み手が勝手に解釈してくれて👍エンディングを迎えられると期待したいがあえて切り込んでいく。ヤブカラボーに大学3年の3月に「はいじゃあこの無限にも近い膨大な選択肢の中から一つの解答を出してください。期限は数か月以内。解答にはそれぞれ選択した動機を説明でき、そして相手を納得させるだけの理由が必要です。」俺には「これ」がよくわからなかった。

 

これを読んで「そんな条件皆一緒なんだからその中で適応できなかった低能のお前が悪いのだと私様が教えてあげます」と思った読者の諸君!エライねぇ満点だ!ぐう正!ギャフン!とまあこのへんでいいですかね。ただ、ずっと前からわかっていたことだがこの状況というのを良しとすることはできない。なぜか?それは順当にいけば親のほうが先に逝くからだ。いつかはこの状況から脱するときが来る、というか来なければならない。だがしかし、今の俺には全くもってやる気がない。そのやる気のなさをマイナビのサイトを毎日見て克服しようなんてナンセンスだ。なんで俺はここまでやる気がないんだろうか真相は俺にもわかっていない。俺は俺自身を知らなければならない。そのために脳ミソの奥の方を引っ張り出していこうと思う。

 

大学1年

朝井リョウ原作の映画『何者』を観た。就活を通して人間関係が変化していくという話で当時祖母からの合格祝いで一人豪遊していた俺には全く共感できなかったが、ぼんやりと就活にたいして良いイメージを持たなくなった。就活のシーズンにほとんど誰とも連絡を取らなかったのもこの影響なのではないかと思っている。

 

大学2年

なんも覚えてないし、とくに何もしてない。(これから先なんもしてないと書くときはyoutubeみて飯食ってシコって寝ていたという意味だと解釈してほしい)

 

大学3年

4月ごろからなんとなく周囲にも「そろそろ就活」といった雰囲気が漂い始めているのを察し、何かした方が良いとは感じていた。国際公法ゼミに所属していた先輩の紹介でしょーもないセミナーにも何回か参加していたが生産的な成果をあげることもなくただ情報を受け取っていた。

 

夏と秋には1社づつインターンに参加した。先述の先輩の影響であった。夏のインターンはウェブ系のベンチャー企業で特に行きたいと思ったこともなかったが倍率が高かったらしく(80倍~100倍)なんか通ったという嬉しさだけで参加した。行ってみると皆会社の人はジェルで髪テッカテカでブッリブリでウェイウェイしていた。インターンのテーマは自己開示と他者との協調力を磨くことで、まず俺は自分の班員の自己開示を聴いて”フィードバック”した。その際班で一番可愛かった女子(川口春奈似)に「あなたのことが生理的に受け付けない、理由はわからない」と言われた。大学に入ってからはそれなりに他者に嫌われないようふるまってきたつもりであったし、第一こんなこと言われたこと生まれて一度もなかったのでそのことだけは鮮明に覚えている。言った本人が可愛かったから覚えているだけかもしれない。その後2日間かけてしょーもないミッションをこなし班ごとの点数を競い合い、しょーもない絆を高め合った結果ラインとインスタグラムの友達の欄が4つ増えた。しょーもな。

 

秋のインターンは先述の先輩と仲の良い同世代のブリッブリのやつに「タダで焼肉食えるセミナーがある」と誘われ、まんまと行ったら会社の人事のお姉さん(44)に気に入られ、悪い気はしなかったし肉も美味かったのでインターンに行くことにした。先のウェブ系ベンチャーとは違い、クリーンなキャバクラ経営をやっているらしいというのは怪しかったが選考もなく他人の金で北海道旅行ができるという幸運に乗っかった。到着後班を組みテーマに沿って発表することになった。班員は俺以外が全員京大生でメチャクチャやりにくかった。会社の人事のお姉さん(44)は俺を女性慣れさせたいという理由で京都の神社の巫女に選ばれた絶世の美人を用意したと言っていたが実際そんなにでもなかったと思う。ただ「そんなにでもないですね」と説明する度胸も必要もないので心にしまっておいた。京大生達がハチャメチャに優秀だったのか俺がテンパっていたのか、班員の京大生同士が元から知り合いで連携がうまく取れていたからなのか真相はわからないがこのインターンでの俺はクソカスに無能でしかなかった。発表スライドを共有しながら作成するのだが何をいつまでどれだけやったら良いのかわからず完全に置物と化していた。結局やってるフリだけして他の班員に全部やらせた。本当に無能でしかなかった。京大生に「九大は無能のカス集団」と思われる原因を作り上げてしまい申し訳ない。その夜会社が経営しているキャバクラに行った。店内はミラーボールのライトでギラギラしており女の人にもついてもらったのだが金払ってないとこの程度のレベルの女が付くんだということは勉強になった。風俗嬢も休みの日はスプラトウーンしているらしい。こっちのインターンはそれなりに勉強になったし京大生は優秀だった。

 

冬になり本格的に就活シーズンっぽくなってきた。俺は自己分析とか業界研究とか自分なりにやってみたけど無理だった。就活系のyoutubeを観て勉強したりfacebookで自己分析を高め合う会みたいなのをやったりしたが結局よくわからなかった。俺は自分がどういう人間なのかいまだによくわからないしそれを説明することもまたできない。どこを目指してるっていうのもよくわからない。キャリアとか全部抜きにしたら超面白いyoutuberになりたい。どういう業界に入りたいというのも全くピンとこなかった。強いて言うならゲームが好きだからゲーム業界に行ってみたいというくらいだった。

 

3月になる直前に携帯を機種変した。前の携帯とナビサイトの連絡先を紐づけていたのでもし連絡することがあったら前の携帯に連絡しているんだろう。そのことに気づいたのは3月の終わりだった。また、エントリーしようにもナビサイトと企業のホームページにログインできず、何もかもどうでもよくなってモンハンXXのラスボスのアトラル・カを意味もなく蹂躙し続けていた。

 

4月になりさすがにちょっとヤバいかもしれないので新しいアカウントを作り、就活を始めた。九電の子会社と中堅の総合商社がそこそこ良いところまで面接が進んだ。九電の子会社の方は面接の際に「ウチがどういうサービスやっているか知ってる?」と聞かれたのに「知りません」と答えたり、「他の会社とウチの内定出たらウチのを承諾してくれるか?」という問いに「早く内定出してくれた方に行きます」と答えたのが良くなかったと帰りの電車内で反省した。総合商社の方は終始ありのままのあなたを見せてくださいというスタンスの面接だったので文字通り何の準備もせずに行った。「バイトはしていません、無駄なので」とか「完全に趣味でウェイトトレーニングしてる」とか「金がないので毎日卵かけご飯だけ食ってる」みたいな友達に話すような内容が面接官にちょっとウケたのか最終面接で東京に行くことになった。ここで終わらせなきゃいけないという使命感があった。なぜならもうこれ以上無駄に疲れたくないからである。さっさと気兼ねなくゲーム漬けの生活に戻りたいと思っていたが、最終面接にして初めて「大学でどんな勉強したの」や「ウチ入って何がしたいの?」ときかれ、全く答えられずゴニョゴニョ取り繕ったが落ちた。面接の最中に落ちたと確信し、その後先輩社員との面談では色々話しかけてくれていたが何も入ってこなかった。この時の敗北感、消耗感は今でも引きずっている。ここで終わっていれば、、、とはいまだに思う。

 

その後は九大生としての特権を利用するために福岡にある青とオレンジの銀行をふたつ受け、ふたつ落ちた。青い方の面接では「大学では全然勉強しませんでした」と受け答えたのが良くなかった。どうやら就活では言ってはいけないことというのがあるらしいというのがこの辺でわかってくるが全くもって遅すぎた。オレンジの方は九大特権で最終面接まで行ったのだが、ありきたりなことを言って難を逃れたつもりでいたが受からなかった。九大生でこの二社に落ちるとは思っていなかったのでかなりショックを受けた。

 

それからはもう敗戦処理だ。飲食系を受けに行くも「なんで九大卒の俺様がパンなんざこねなきゃいけないんだよ」と内定がないのに自意識が暴走し2次を辞退したりしていた。そしてテキトーに過ごしているうちに留年を決めたというわけだ。あとは今に至る。

 

とどのつまり、俺が今就活に対するやる気を見失っているのは「自分が会社に入って何をしたいか」とか「自分はどういう人間か」とか「学生時代何を頑張ったか」とかに大胸筋をバンと張って答えられるほどの解答を持ち合わせていないことが原因だと思っている。今マジになって答えようか。「自分が会社に入って何をしたいか」←生きるための金が欲しい That's all.「自分はどういう人間か」←わからないし永遠に知りえない、過去の経験上まあまあ明るい性格ってやつなのかもしれない。「学生時代何を頑張ったか」←ウェイトトレーニングはやってた、今はやってないけど、その他協調性に関することならなにも頑張ってないっす、協調って無駄なんで。

 

これを言うことになる。君たちみたいな就活頑張った人達が見たらこれを言うことがどれだけその場において「スベってる」ことなのかご理解いただけるだろう。だからやりたくないんだ。やったっていいけどどうせ負けるってことだ。いやちょっと違う。多分あと10回やれば内定なら1回くらいとれるんじゃないかと思っている。ただそれをしてまで頑張って自分を摩耗させたところで内なる神に背くことになる。内なる神に背いた上での未来なんか必要ないってことだ。

 

とはいってもせっかく大学を卒業することになったし最終的には神様と戦うことになりそうだ。俺は若さというチャンスを自らどぶに投げ捨て続けている。22卒はさらに就活が厳しくなるらしく自ら苦しい方へ苦しい方へ進んでいっているのかもしれないがこれがMy Choiceだ、後悔はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Goodbye Despair

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 ああ「俺」はまた留年するのか。どうしてだ、最善は尽くしたはずなのに!

あんな最悪の日はもう過ごしたくない!それなのにこんなのってあんまりじゃないか。俺は悪くない。そう思いた込みたいが目の前の現実がそれにNOを突き付けてくる。

嫌だ、嫌だ、嫌だ!!!!

 

そう嘆く「俺」の元へひとりの男が現れた。それは{俺}だった。{俺}は言った。

「どんなに嫌だと泣き言をいくら並べても仕方ないことだ。ならば俺は拒絶する。俺は俺を拒むこの世界そのものを拒絶する。拒絶した次の世界の中で俺は俺ではない何者かとして再び生き続けるだろう。それでも構わない、全ては循環の中の一存在に過ぎないのだ。」

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そうして「俺」は{俺}を信じ、この世界を書き換えることにした。

 ただ一言つぶやけばいい。

『秩序の再構築(デコードオーダー)』

すると{世界}は音をたてて崩れ始めた。

「ほら、わかるだろう。そして視えるだろう、あるべき世界の器(かたち)が」

{俺}は「俺」に向かって話しかけた。

「俺」は{俺}の言っていることを次第に理解(よみこみ)始め、その全貌の真相にたどり着いた。本当(しんじつ)の政治史評価はFなんかじゃあないんだ。ただ俺が(そう)思い込んでいただけで初めからFではない状態でそこに存在していたんだと。

 

そのことに気づくと同時に世界は変ったんだ。

 

 

 

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youtu.be

ようやくわかったんたんだ。「俺」は{俺}だったんだね。

 

 

 

はい、つーわけで政治史ちゃんと取れてました。君たちを試しからかいましたスミマセン。でもさー、こんなのに騙されてるようではまだまだインターネットリテラシーがアレなんじゃないっすかね(笑)。よく見れば本物(しんじつ)に到着した(わかった)かもしれないのに。

 

おそらく大学卒業の権利を得た、ということは世の中的にはそれなりの教養人側にいるはずなのだが、大学で学んだといえるたった一つの事柄は「イケメンでも彼女できないやつはたまにいる」ということだった。この知識を役立てていけるよう日々精進したい。「俺」は{俺}であるからこその俺なのだ。

 

大学はメチャクチャ楽しいということはなかったがそれなりに楽しめたかもしれない。

泡沫の興とは得てして(そういう)類のものなのだ。

 

寒すぎる。どうかしてる。今日の朝のツイッターにさっっっっっむがトレンド入りしていたのを他人事だと思っていたが先ほどコンビニに出かけてその寒さを初めて実感した。確かに寒い。

 

もう季節は変りほとんど冬になろうとしているが、相も変わらずなーーんもしとらん。いや、本当に何にもしてないということはない。息(いき)と人間生活はしている(これが伝わるだろうか?)。ここでいう何にもしていないというのは今自分がやるべきとされているタスクに対してほとんど何のアプローチもかけていないということである。

 

「あ~~だりぃ~~やんなきゃいけないこと全部やりたくねぇ~~」このワンフレーズを実に1年と半年以上擦り続けてきた、さながらオナニーを覚えた中学1年生のように(ちなみに俺は小4)。それで楽になったのかというと違う、やらなきゃいけないことの期限を延長すればするほど瞬間的に楽になることは出来るがその負債は延長すればするほど大きくなり、いまや就職が決まったら新垣結衣と結婚してかつ道端で2億円拾うくらいの超莫大なリターンがない限り払いきれないほどの負債となっている。もちろんこれは過言であるが、仮にちゃんと半年前に就活をしていたほうが、いまになって就活するよりはるかに選択肢があったし、結果的に楽だったろう。

 

結局やるしかない。なぜなら能力がないから。それに尽きる。いまだに志望動機がないとか学チカがないとかくだらないことを言い続けてはいるがやるしかないことだけはわかっている。待てよ本当にわかっているのか、それもわからなくなってきた。

 

solutionとしては結局志望動機も学チカもないままな~~~んとなく就活するしかないんだろう。そして就活やりながら少しずつ喜ばれる方へ自分を寄せていくしかないんだろう。それはそれでいい、自分の思う自我の一貫性を保守することは諦めた。結局俺は、俺が、俺こそが2016年に入学した2000人の最底辺にいるのだからもはやキャリアに関してこうでありたいとかチンケな幻想妄想空想を抱いている余裕などない(ボカロ曲みたい)。

 

今就活をすることのモチベーションはあるっちゃあるが、キャリアそのものとは全く関係ないところにある。フワ~~~としたことを言うなら就活以前の自分を取り戻すことだ。興味関心の向く方向へしがらみなく進むことができる自分が欲しい。やりてぇ~~こといっぱいあるっスよ先輩。しかしその程度のことではこのcrisisに正面から立ち向かうモチベーションには全然足りない。自分を突き動かす燃料には圧倒的に足りない。

 

どーしたらいーかわかんねー

 

こういうなし崩し的就活も自分の向かう方向には向かっていないただの体裁取りに過ぎない。だから仮に入社してもすぐにやめるかやめさせられるかという状況になっていそうな気がする。それとも置かれた状況によって人は変化するから人はどうなるかわからないみたいな物語が俺を「成長」させるのだろうか。うるせー、渡辺和子に説教される人生なんて最悪だぜ。

 

わっかんね

 

そもそもこういう、自分のやりたいことをやる生き方を目指すみたいなものが昨今のトレンド、タピオカ的思考なのかもしれない。少なくともジジイや父さんが俺くらいの歳のころよりは個人主義的な価値観を社会や人生に当てはめてようとする人が増えていると思う。自分で考えて選択しているつもりがSNS社会の影響を大きく受けた結果、毎日youtubeばっかり見てる俺のような人間はこういうスイートな思考しかできなくなってるのかもしれない。

 

おれにはわからない。お手上げだ。どうせ手を挙げるなら警固公園で全裸でグリコのポーズをしたい。

 

 

 

 

「GOTCHA!」がスゴイ


【Official】Pokémon Special Music Video 「GOTCHA!」 | BUMP OF CHICKEN - Acacia

 

以下蛇足。

 

クソ眠いのにわざわざ起きて文字を起こしているのは「GOTCHA!」を観たからである。なんかオモロイ動画ないかなの極北ことyoutubeの急上昇閲覧をしていたら(ようつべのサジェストの性質上、関連動画が無限に上がり続けるので基本的に急上昇欄は観る必要がない)なんかポケモンの動画があるぞ。そういえば昨日「後で見る」に保存ておいたな。自分の力がフルの状態で観たかったがしょうがない、何となく見るか。

 

観てみるとメチャクチャ動く、スゲー。作品の技法が全くわからない人間なのでスゴイ以外の賛辞はかえってわかった風気取りで失礼な気がする。次から次へと場面が展開し過去作品に登場したキャラクターが表情豊かに動く動く。その姿に感極まってしまった。一番印象的なのは影だけでポケモンや人間を表現しているところだ。何度も繰り返し視聴することで見えてくるものがある。3分の動画を見続けて2時間が経った。そのくらい面白い。

 

ただ僕はこの動画を面白いと思ったが、このスゴさはいわゆるノスタルジーに訴えかけてくるタイプのものだと思うので、過去にポケモンやったことない人が観ても「なんかメッチャ動く」くらいにしか感じとれないかもしれないので微妙かもしれない。というわけでポケモンやったことある人は観てほしい。

 

曲もMVに合っていて良い。BUMP OF CHICKENAcaciaという曲である。バンプはあんまり聴いたことなかった。「天体観測」だけは知っていた。街中で流れているのを偶然聴いたことあるかもしれないがそれも気に留めないほどあまり興味がなかった。なぜなら自分の想像するウザイやつだいたいバンプ聴いてる(気がする)からである。女にモテて、運動出来てコミュニケーション能力高くて、学生のくせにバイトしていて、試験前だけ勉強してちゃんと単位だけ取っていく、趣味が皆といくカラオケでオール→俺ら濃いメンのやつ、こういう人間の総称が「バンプオブチキン」だと思っていたからである。どうせ女がいる前でよく知られている「天体観測」を歌って俺わかってますよと自分を演出していたに違いない。ベッドの上でオーイェェ―アアーイェ―イェーしていたんだろうと思うとバンプの曲を聴こうとするモチベーションは今までなかったが、これからはちょっと聴いてみるかもしれない。

 

マジで観てくれ。寝る。長濱寝る。

 

留年はするべきでない(いまさら)

これは1回目の続きになる。現状とは前々回にも書いた通り単位を回収し卒業することと、就職することの2つのノルマを抱えていることである。

 

まず、現状から考えられる4つの未来パターンを想定する。A,卒業し、就職する。B,卒業し、就職しない(できない)。C,卒業しない(できない)、就職する。D,卒業しない、就職しない。全部で4通り考えられる。

 

次に最悪のケースを想定する。自分の意思を考慮しなければAは最も望ましいパターン、Bは望ましくはないが現状から自分の力量、熱量、思考の方向性を考えると一番可能性が高いパターン。Cは考慮に値しない、もしCの状況になった場合、これは自分から降りる。俺は九州大学卒の資格を捨て、より純度の高い自力で生きていこうと思うほどのバイタリティは持ち合わせていないし能力もない。そしてD、この中から自分が最悪だと考えるケースはDだ。Dはさらに分岐が存在しており、留年を続行するパターン、高卒(九大中退)として社会に出るパターン、ニートまたは生活保護受給者になり他者の救済を得て生きていくパターンがあり、ここを掘り下げても仕方ないので結論だけ書くとDの中で選ぶのは留年を続行するパターンだ。これを書くと、「ああなるほど、コイツもう一年遊べるドンなんだな」と思われるだろうが、実はそんな気もない。そんな気力もないといったほうが正確かもしれない。

 

ここでタイトルを回収しよう。自分が実際に留年をしてみてわかったのは「留年はするべきじゃない」ということだった。何を今更と思われるかもしれないがおそらく想像されていることと微妙にニュアンスが違う。もっと真意に近い言葉を選ぼうとするなら、「自分には留年の適性がない」といったところか。もっとデカいこと言おうとするのなら「多くの人は留年の適性を持ち合わせていない」とさえ感じている。

 

元々留年という決断を選択をした理由は、就職ウンヌンの生む面倒、その決断の延長、自分の今やりたいこととの兼ね合い(ここははぐらかす)、親と生活することへの抵抗、そんなところだった。そして親の顔色を窺い、この決断は「通る」という確信があったので交渉し、親も渋々承諾し、夏休みの一年追加が決まった。

 

ただ実際留年生活をしてみるとわかるのが、留年生活は大学生活とは別物であるということだ。仲が良かった友人は卒業し、福岡からいなくなった(一部なぜか卒業したはずなのに近くにいる謎の人生街道を走っているヤツもいるが)。こうなると人間関係が極めて希薄になる。ほとんど知り合いに会うこともない、見ず知らずの人間に話しかけることは現代日本では不自然な様子であるし、リアルコミュニケーションをとることはほとんどない。加えて例のヴァイルスのせいで不必要に他人と接触しないという流れは加速している。そんなわけでほとんどの時間を家の中で一人でいるという状態になる。どこかの国で、何もない真っ白な空間に人間を入れて観察していると数十時間のうちに発狂してしまうという研究があった気がする、真偽のほどは定かではないが今の自身の状況はソレにかなり近いと言える。もちろんその研究とは違って、自室にはインターネット回線が備わっており、常に膨大な量の情報に接続できるが、インターネットから得られる情報なんてものは所詮長方形の電子機器から視覚的に得られる光の集合に過ぎない。それまでの人生では行われていた、自分と同種であるホモサピエンスが目の前で何らかの目的のために活動しており、そのことで全身から得られる自分が集団の一員であるという自覚、インターネットではその自覚を得ることができない。そういう状況に身を投じ続けていると「自分は何のために生きているのか」というやりがちな沼にハマってくる、疑問が解消されなければ次第に自分の人生に対するやる気も失せていく。こういう状況にハマってしまったときに上手く対応しながら生きていくことはけっこう難しい、おそらく多くの人は抜け出すのに多くの時間を使うことになる。だから、深そうな沼には最初から近づかない、留年はしないほうが良いという結論に至った。逆に留年状態に適応できるのは、こういう沼にハマらない自分大好き人間とか人生の目的を臆面なく口にできるエウレカ系だったり、沼にハマったことを好意的に楽しめる哲学的思考の素養を持つ人間ではないかと思う。(蛇足だが、恋愛や結婚に関しても留年を経て考えが少し変化した。結局生きる意味なんてものは、本人が本人によってかつ客観的に自分の中に見つけることは不可能である。ただなんらかの形でパートナーがいれば自分以外の人間の方向に生きる意味、活力の根源を託すことができ、それが他者との連関のなかで生きる負担を多少減らしてくれるのではないかと考えるようになった。)

 

長くなったがそんなわけでCとDの選択肢は自分の中で選択肢にない。来年の留年は無いということだ。これはこの大学と決別する決意だ。ただ、就活の進捗次第ではBの選択肢は消えないだろうし、親に文句言われながら来年就活しているかもしれない。一つ言えることはこんなこと書いている間に就活しろってことだ。