現状と考えていること

自分には現状やらなければならないことが2つあることになっている。会社への就職と大学の卒業だ。ただ、どうしてもそれに対応しようという気概が起きない。端的に言って馬鹿げているからだ。就職活動の場では内心と異なることを説明しないといけない(ことが多い)。一概にそうとは言えないが、就職活動は自分が「有用」であることを説明させるに留まらず、長いものに巻かれるためには内心を偽る活動を包含している。仮に自分が会社の人事部だったとして、「趣味はアニメのキャラクターになり切りながら自慰行為をすることです!日に5回は絶頂に達します!」と履歴書に書かれていたならば無言でシュレッダーに突っ込むだろう。このように立場を逆転させて考えると就職活動はポーカーのような性質のゼロサムゲームだと言えるし、一定の理解ができなくもない。ただその先には職場で最も権力を持つものが「白」と言えば黒が白になる空間が広がっており、そのような場所で呼吸することにいまだ抵抗がある。自分自身が当事者として働く以前からこのような考えを持つのは危険であるとも感じていたが、先に卒業した友人の様子をみていると、自身の考えがそこまで的外れではないように思う。

 

しかしやらねば。そういう気分だけはある。良い、またはあるべき人生を歩まねば。自分は小学1年生の頃から学習塾に通っており、中高は私立寮制の学校でさらに浪人、留年の役満人生であるから、最低限度の義務教育までで教育が終了した人間のおよそ倍程度の資産を投資されている。その親の期待とやらを「コンドームを装着せずにセックスしたことの代償」と揶揄するほど薄情でもない。

 

だから良い人生を歩まねばならない。しかしそれと同時に付きまとうのは良い人生とはなんだ、あるべき人生とはなんだというやりつくされた疑問。そんなものに答えなどない。答えはないが、ぼんやりと偏差値50より55、55より60の人生が良いということになっており、その流れと縁を切ることはできない。次のステージでは自身の収入と、手に入れた女の数とその顔と胸と尻の良し悪しで人生の偏差値が測定されるのだろうし、きっと死の直前には墓にいくらの費用をかけたのかで張り合っているだろう。

 

俺は人生の浅瀬でチャプチャプしている。欲しいもの全てが手に入る幻想を抱き、何かを選ぶことも捨てることもできないままでいる。大学に入学したあの日から何一つ変わっていない。いや、入学時の熱量が失せた6月くらいから変わっていない。シャドウバースのカードと効果を他人より多く記憶しているだけだ。(アンリミテッドのミントネクロデッキは楽しい。ソリティア完成の目標地点に到達するまでにいくつかの分岐が存在しており、状況に応じて使い分けたり、使い分けられなかったりする揺らぎが心地よい。)

 

こんなときスゲー人間ならウルトラCで状況を打開するのだろうが、俺は凡人だからなにもできないやるせなさとどうにかしたい焦燥感の2つだけがある。いや、凡人ならある程度のところで社会に合流できるだろうから凡人未満なのか。これから俺が凡人になれるかどうかはまだわからないがなれると良い。

 

わからない、先のことなど何ひとつ。いいや違う。分かってきた。自分には子供の頃憧れていた輝かしい人間やこうなりたい人間には全く届かないことが。それでも生きていくことの心労は計り知れないが生きていかねばならないと思う。この「生きねば」こそ希望なのだろう。

 

久しぶりに文字を並べたら中学生のときに習う語彙しか使えないことがわかり、語彙を駆使するという点で本読みという、傍から見ていて最も偉そうな趣味には一定の効果がありそうだ。