終わり者の所感

どうも皆さんこんにちは、終わり人間です。名前だけでも覚えて帰っていただければ幸いです。オイオイ世の中戦争だの貧困だの色々あるのにお前ごときが終わっているを自称するなよと言われるかもしれない。この場合終わっているというのは俺の主観に基づいてのみ判断される、俺が終わっていると言ったのなら終わっているのだ。

 

就活をし、内定をとる(いただく)、ただそれだけのことが俺にはできない。一般に大卒の就職率は90%程度と言われており、2年間失敗しているので1%の無能、それが俺だ。どうしてもできない、どうしても無理だ。1ヶ月前くらいにしょうもない会社の内定辞退した後に別の会社の面接で志望動機が言えなくて落ちる経験をし、会社に入るためにありもしない自分をなんとか創出しなければならない(と俺は思っている)状況に耐えられずにもう1ヶ月くらい終わっている生活をし反動でジリジリと精神が削られ続けている。あまりにも精神削られる時間が長くなりすぎてもう日常になってしまった。

 

とはいっても大学の友人やら、自分の家族やら周りの人間を見渡すと自分のストレス以上のストレスを抱えている(ように見える)人はそこそこいる気がする。俺が起きたいときに起き、食いたいものを食い、シコリたいときにシコリ、遊びたいときに遊び、寝たいときに寝るその代償の罪悪感のストレスより今現在必死こいて働いてその中で生まれたストレスのほうがはるかに大きいだろう。だから俺のストレスはお前らよりもデカいぞというつもりは全くない。

 

ひとつだけ言えるのは、今置かれている自分の状況はコスパが悪いということだ。社会人のストレスはその対価として賃金を得ることができる。その賃金で労働時間外には法律の範囲内持ち金の範囲内で好きなことをできる。一方俺のストレスは何も生み出さない。というか生み出さないということのストレスだとも言える。

 

なんとかするしかない、、、ってオイオイオーイこれ昨年と言ってること全然変わってへんやないかーーい。本当にそうなんだ。俺は何も成長していない、そもそもニートマインドから社会人マインドに変化することを「成長」と呼ぶのはいささか抵抗があるが(抵抗があることも含めて)まあそうなのだろう。これが、、、イザナギ、、、、?

 

さすがにまずいぞと先週くらいから思い始め、今日はハロワに電話して優しいオバチャンと話すつもりだった。それ自体には何の意味もないが自分の中に就活マインド、社会人マインドを取り込むことで再び就活という最悪の場に適応する目的である。だが朝起きた瞬間にスマホをベッドの裏に落としてしまい、下を見渡してもなかった(ベッドの横の本棚の裏にあった)。それを「今日はハロワに行くべきでないお告げ」と好意的に解釈しyoutubeを見ていたら今に至る。俺は終わり続けている。