中高生と一緒にYouTuberを見てきたよー

 6月の上旬にYouTuberのもこうが自分の近所の高校に来るという情報を捕まえ、さっそく予約サイトを開くと応募フォームが現れた。もこうはどうやら第3部に登場するらしいので1部と2部にも興味本位で応募してみたら当選、せっかく抽選に当たったので3部全てに参加することにした。

 

 当日は寝不足の身体をどうにか覚醒させ電車に乗る。訪れたことのない駅だったので少々慌てたがどうにか目的駅に到着し、高校まで徒歩。前日に駅の乗り換えと徒歩経路を調べておいたものの、大人数が雪崩れるようにある方向に歩き出したためこの先が目的地であることを確信し流れに身を任せると無事到着。

 

 高校に着くと順番に当選確認があり、その後校内に通された。訪れた高校は県内屈指の進学校らしく内部は綺麗に清掃されており、どことなく母校で見た景色に似て懐かしかった。1部の講座の時間ギリギリに到着したため着席するとすぐ講座が始まった。

 

 1部の講師はかっつーという人で高専ネタや銀だこで働いていたエピソードトークで人気を得て今やチャンネル登録者は83万人のかなり大手のYouTuberだ。正直俺は彼自身に全然興味がなかったが以前自分が視聴していたライバロリという配信者とコラボしていたのを知っていたし、世間の人気で天狗になってるやつを一目見たくて講座を受けてることにした。予習のために観た動画内では突然下ネタを言ったり大声を出すのであまり知的な印象はなかったが結果的に今日3部の中で一番知的な講座だった。まずかっつーはYouTubeの仕組み(視聴者と投稿者と広告主の関係)について説明し、仕組みの中で上に行くためにおバカキャラを全て計算で演じていることを話した。より広告収入と人気を得るために3H戦略を掲げていることを明かした。3HとはHero(人々の注目を集める)、Hub(見込み客とのつながりをつくる)、Help(視聴者のニーズにこたえる)の3つの頭文字を取ったもので3Hに基づいて彼の動画は作られているそうだ(3H戦略は動画マーケティングの世界では有名な考え方らしいので気になったらググってくれ)。またYouTube内のトレンドにも敏感で最近は#Shortsが流行っているらしく彼も常にアンテナを張り自分の動画に流行を取り込んでいるらしい。確かに俺も1分で遊戯王を解説してくれる動画が好きで観ているが流行の一端に自分も知らぬ間に関わっているのかもしれない。他にもYouTuberを目指すなら機材は最良の物を選択すべきこと(生産性上昇や視覚的効果を高める目的)など語っており、普段の動画には見られない計算高いかっつーがいた。俺は毎日YouTubeを観ているがなんだかんだ「YouTuberは他の世界で生きられなかった人間たちの掃きだめ」の印象を抱いていたが、トップのYouTuberがここまでハードに自分を追いこんで動画制作していると知り畏怖と「あんまり楽しそうじゃないなこの人」の感情が生まれた。

 

 その後質疑応答へ移り、次々にどうでもいい質問の手が挙がる中1人面白いヤツがいた。質問内容は「自分は登録者100人程度のYouTuberだがどうすれば人気になれるか」というものでそんな質問にかっつーは答えようもないのだが俺は何百人もいる中で自分が雑魚だと発表できる勇敢さに感服し、講座が終わり次第話しかけた。2部までの間に1時間弱時間があったので雑魚YouTuberと色々話した。出身、高校、今何をしているかなどを話し、ついでに雑魚のチャンネル登録をした。帰ってきてから動画を観たのだけれどとても観られたものではなかったのでリンクを貼ったりはしない。俺が今書いているこのブログも俺を知らない人が見たらキツイだろうしあまり強く言えないのだけど視聴が辛かったのですぐチャンネル登録解除した。しかし勇気は素晴らしかったのでいつか少しは報われてほしいものだ。

 

 昼食休憩の後2部が始まった。2部の講師に選んだのは古屋雄作という人でこの人は『うんこ漢字ドリル』や『人を怒らせる方法』などの作品を手掛けており、本講座のタイトルが「人を怒らせずにうんこをまき散らす方法」と一際目を引いたため選ばない選択肢はなかった。タイトルの「人を怒らせずにうんこをまき散らす方法」の意味は当初の想像通り「人の反感を買わずに『うんこ漢字ドリル』を物流に乗せる方法」という意味で驚きは少なかったものの、その方法論は良かった。列挙するほどではないため割愛するが、反感を買わないための5つのルールがありどれも公序良俗に反せずルール、モラルから逸脱しないことという趣旨だった。自分はインターネット世界におけるルールやモラルに対して諦めているところが多々あり、「面白さのためなら何でもあり」信者になりかけていたのを3歩くらい引き戻された感じがした。古屋さんは東海中高の出身で中高生のために『うんこ英単語』が配られたのが余ったため外部の人間だがお土産に頂戴した。

 

 移動と休憩後に3部が始まった。3部はお目当てのもこうの講座であり、収容人数の関係上校内で最も大きい講堂が講義場所だった。2部ではその場所で人気Youtuberはなおでんがんのでんがんの方が来ていたらしいが3部は2部以上に盛り上がっただろう(でんがんを過小評価してるかも)。もこうを観るために6~700人が集結したのだが講座タイトルは「ゲーム実況者もこうの人生相談」で簡単な自己紹介の後もこうファンなら諳んじられる中学の卒業式と潰瘍性大腸炎と会社の同僚に配信がバレた話をして会場が温まってからグーグルフォームでの人生相談が始まった。始まったものの、もこうは何の準備もしてきていないのでただ送られてきた相談に相槌を打ったり生返事をしたり誰でもできる助言を言ったりするだけなのだがそれだけで会場はウケにウケていた。途中人生相談が落ち着いてきたところで突然十八番のシャルルや春よ来いの他に創価学会の歌を歌ったり壇上のピアノを勝手に演奏したり頭に水をかけたりとやりたい放題なのだがそのたびに会場は盛り上がっていた。そのウケはもちろん「もこう」の肩書きがあるおかげなのだけれど、もこうは先のかっつーや古屋さんとは違い、何の準備もしていないしその結果声は出ないし演奏できないし水をステージにこぼして実行委員の高校生たちに迷惑をかけたりととにかく平気で失敗できる。でも誰も嫌じゃない、「準備してから来いよ」と誰も言わないし、飲み水が零れてそれを拭く委員会の生徒たちも少し嫌そうな素振りを見せるだけで実際楽しそうだった、ここに本物のYouTuber「オワコンの向こう側」を見た。かっつーが「計算の男」ならもこうは「無計算の男」だ。手札が何もなくても壇上に上がって皆を味方につける、とんでもない才能を見た。「うわぁ~俺もこんな風になりたい!」そう思わされてしまった、本当に楽しい1日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ストレスしゃかいにいきるぼくたち

 昨日は野球観戦に行ってきた。俺は熱心ではないものの一応鷹ファンでそろそろ交流戦バンテリンドームで若鷹達が観れるだろうと試合確認、予告先発が千賀対大野だったので当日の朝に行くことに決めた。

 ジムから帰ってきてから飯食ってシャワー浴びた時点で試合開始の30分前だったので少し遅れるつもりで準備を進めていたら、出発してすぐに財布の中に小銭しかないこと、キャッシュカードがないことに気づきあわてて帰って仕事帰りの母を使役しどうにか見つけそのまま出発。

 球場に着いたときには3回の表までゲームが進んでいた。試合が0対0のままだったことに安堵しそのまま最終回まで観戦した。ビジター用の外野席でバッターからは120mくらい離れていたものの、生で観る野球というのは良かった。選手や審判の動きが遠くからでも鮮明で今この場所で起きていることなのでテレビで観るときより集中して観ることができた。結果的に大差の試合になったものの、途中まではどちらが勝ってもおかしくない状況で見ごたえもあった、いやぁ楽しかったねえ。

 という感じで終われたら最高だったのだけれどそう上手くもいかないのが人生なのだ。自分の席の後ろの集団の大学生、コイツらが終始くだらないことを話し続けていて不快だった。ニュースサイトやゲームで聞きかじっただけの野球知識をここぞとばかりにひけらかし盛り上がっている。「この選手パワーないから遠くまで飛ばせないって(笑)」「コイツ足遅すぎだろ(笑)」「白井が~(笑)」と痛々しい身内だけで通用するノリを公の場で開帳されてしまった。

 でもこれは許す。なぜなら自分もこういうことをした経験があるから。というか大学生のとき、身内ノリを公の場であえてやるサッブイ行いを積極的にしていたのは自分だから、こいつらを注意する資格は俺にはない。こういう傍から見てると寒いのが内輪の中だと面白いというのはよくわかる。加えて大学生とはそういう生き物だから、群れて強がることでしか意思決定できない弱い生き物だから仕方ない。もっと言うと大学生だけじゃなく人間が集まってしまうと集団の力でルールやモラルを破壊してしまう。人間はひとりでは大したことなくても集まると途端に力を発揮できるそういう生物なのだから一連の行いは仕方ないし、この辺りがホモ・サピエンスの限界だろう。そういう弱い生物の受け皿として長く野球が存在しているとも言える。

 などと少しモヤモヤしながら試合は7回を迎えた。野球観戦では7回は他の回より頑張って応援する不可解なしきたりがあり、贔屓側の応援団長と思わしき人物が観客にしきりに応援を促していた。しかしなかなか観客が応援のために拍手をそろえたり大きな音で拍手しなかったのか応援団長の声に苛立ちが混じり始めた。「この回大事なんでちゃんと応援しようや」それまで俺はそれなりに拍手して盛り上げに貢献していたのだが、スピーカー越しのこの声を聴いたその瞬間に一気に冷めたのと同時に苛立ってきた。俺は野球を観に来ているのであって、バカみたいにデカい太鼓の音を聴いたり手を痛くなるほど叩くためにこの場所にいるのではない。金銭を支払って楽しみを得に来たのに金も払わずに来ている分際でさらに何かを要求する人間を許せなくなった。結局最後まで応援には応じず速報でピッチャーの投げたボールのコースと変化球を確認しながら観戦した。自分だけが冷めたのかと思っていたが左前に座っていた自分と同じくらいの歳の兄ちゃんも何か言いたげな顔で応援をしない態度をとっていたので自分だけではなかったのだと確認できた。他にも2割くらいは責任感に自意識が飲み込まれた団長の指示に逆らっていた。戦場だったら殺されていたかもしれないが戦場ではないので殺されることに怯えることもなく無視し続けた。

 嫌なこともあったが贔屓のチームが試合には勝ったのでそこそこ良い気分で帰りの電車に乗っていると、試合後で混んでいる列に突然割り込みをする者が現れ、腹が立つ思いを抑えながら帰路に就いた。

 ご存知の通り俺は無職なので普段赤の他人と接することなく生きている。これが少し外に出ただけで2000字起こしたくなるくらいのストレスだ。これを見ている皆の多くは働いて自力で生きている人間だろう。そのたびに多くの不快、怒り、悲しみとともにあると思うとただ頭が下がるばかりである。

 

戯言

 ここ最近遊戯王マスターデュエルとモンハンライズばかりやっている、どうも社会不適合者です(笑)。(笑)をつけておけばなんかいい感じになるってダンガンロンパモノクマも言ってたしとりあえずつけとくか。以前は就職活動をせねばという機運があったのだけれど最近はそれがなくなりつつある。

 

 その理由はいくつかあって、まず父に怒られることがかなり減った。これがかなり大きい、というかほぼ全てだと思う。父に怒られると精神的にキてしまうので、俺はどうすれば怒られなくて済むかというのを考え一つの結論を出した。「怒られとは構造」だということだ。怒られる人と怒る人がいて他に場所や時、気分が重なると人は怒りたくなると仮定した。逆にこの要素を揃わなくさせてしまえば「怒られ」が発生することもない。可能な限り父との対面を減らし、父のいない時間に起床するようになってからは「怒られ」の回数は激減した。おお、理由がいくつかあると書いたがこれしかなかったよ。怒られなくなってからめっきり就活をしなくなって「怒られたくないから仕方なく就活をしていた」ことに気づかされた。怒られていたほうが良かったのかもしれない。

 

 親側の立場から俺が毎日暇を貪ることにそこまで怒らないのはいくつか理由があるのだと思う。1つは今俺は父の扶養に入っておりその手続きに数か月かかり様々な書類を集めなければならず傍から見てかなり労力がかかっていた。その俺にすぐ出ていかれたら、また扶養から外す申請をしなければならないし、今までかけた労力が無駄になるから今のままでいることにそこまで文句を言わないのかもしれない。2つ目は俺が24まで親と暮らしていなかったからということではないかと思っている。中学高校は寮生活で大学もひとり暮らしだったために久々に息子と暮らすからある程度許しているのかもしれない。理由はよくわからないが俺が今許されていることだけはわかる。

 

 そんなこんなで毎日暇なことばかりしていると雲や川の水が流れていくような心持ちで日々過ごしている。次第に外に出て何かしようという気概が失せていく。よくマンガやアニメに出てくるニート像として「良い年して働いていないがそのことを何も気にしていないし、なんなら誇りさえ持っている」人間が出てくるが、自分がそれに近づいているのを感じる。ニートであることの最も恐ろしいことは「下界に出ることの敷居が上がっていき家の中でしか生きられなくなる」ことだ。家にいれば楽しくて安全なのにわざわざ外に出て危険な目に遭うことを受け入れられなくなっていく、だがいつかは外界に触れなければならないこの辺りがニートの暗黒面とも言えるだろう。まあとんでもなく嫌な会社で働くよりはそれでもマシかなとは思っている。

 

 「働かなければ」、この気持ちが俺の中にわずかに残っている。その一方で「本当に働かなければならないのか」という疑念がある。こんなこと現在進行形で社会人をやっているであろう皆様に言っても仕方のないことなのだけれど。俺たちは本当に働かなければならないのか、「やりたいことを2日やるためにやりたくないことを5日やる」というのをとりあえず65歳まで続けましょうというのはやはり納得できない。頭おかしいんじゃないのって思う。自分の労働に対する気分が5段階あったとして、5は「労働ってサイコー」って状態。1は「働きたくないけど生活のために働いてます、死の一歩手前です」って状態だとする。5は現実的に不可能だろう、仮にやりたいことが仕事になったとしても仕事をしていく上でやりたくないことの有象無象が付随し、次第にやりたくないことになっていくから、1みたいに無理に働くこともない、いや実際には無理に働いている人がたくさんいるから社会は回っているのだろうけど。俺は1の気分では働きたくない。2から4の中でなるべく4に近いようなそんな働きが出来たらいいよねと思っている。そのためには「やりたいこと」の範囲を拡げていくか、「やりたくないこと」の範囲を狭めていくかのどちらか、どちらもが肝要なのではないか。「究極的には働きたくないけどまあ働いてやってもいいか」この辺りが落としどころなのではないか。そんな戯言を妄想している。

 

 

 

 

 

逃走経路

この1ヶ月くらい何にもしていなかった。何にもっていうのは語弊があって息と人間生活はしていた~もういいかこの下り。やらなきゃならない思いはありながらも結局何も出来なかったことの理由について考えてみた。俺は就活と自動車免許の間で揺れていた。

 

前の会社を退職して以来、親には転職をする前に免許を取れと言われていたのだが、俺はこれまで生きてきて免許を取りたいと思ったことがなかったので乗り気ではなかった。親が免許を勧めるのは就活や仕事をする上で免許があれば重宝するからなのであろうが、俺は免許がなくても受かるところに就職すればいいだけのことだと考えていた。俺は面倒臭いし親は金が掛かるので誰も特にならない、だからやりたくなかった。

 

そうは言っても免許を取りに行かないと週に数回父に怒られるので、俺は今就活をするべきなのか免許を取りに行くべきなのか判断が付かなかった。そんな状況でニートをするのは心地よくないしちっとも自由じゃない。金の出どころには強い言葉や文句も言えないことは非常にストレスだ。リビングに父親がいていつ怒られが発生するかわからないまま近くの自室で過ごすことにうんざりしていた。

 

ただ最近は怒られることがかなり少なくなった。母には父に怒られるのが苦痛だと伝えてあるのでおそらく母が父に何か苦言を呈したのだろう。うちの家庭の権力構造は俺←父←母←俺の三すくみになっているので父を圧倒するためには母を積極的に使役しなければならない。

 

しかし母の防壁にも限度がある。究極的に問題を解決しなければならない。そこで俺は動き出すために結論を出した。「免許は取らない、就活をしてさっさと出ていく」。就活が終わるまでにも免許の件で何度か怒られがあるだろうが適当にいなすことにした。そう心に決めているが怒られが発生するたびにまた揺らいでしまう、そんな気がしている。

 

もうアラサーになるらしい、年下のYouTuberやアイドル、スポーツ選手が活躍しているのは若さを売る商売だからなと言えば済むけれど、同い年の優秀なヤツなんか会社でちょっと偉くなってると思うとちょっとヘコむな。それでも今できることをやるしかない。飛車や角がなくても桂馬やら香車やら使って人生マシにしていくしかないよなあ。おい!誰か地球にデッカい隕石落としてくれや!!!

 

 

平日にサウナに行くニート

一昨日、17時まで自室で寝ていたら用事があった父が来て「いい身分やのうお前。あんまり親をナメんじゃねえぞ、就職する気がないんだったら追い出すからな」みたいなことを強めの語気で言われ、俺としては何回目だよこの茶番と呆れながらも「ハイ、ヘイ、エイ」とテキトーに返事をし役を演じた。以前ツイートしたこともあったが、父の職場でコロナ感染者が出たせいでテレワークとなり毎日鬼が家にいる。それまでは昼間は家に自分ひとりだったので鬼の居ぬ間に洗濯し放題だったが今となってはゲームはできないしyoutubeも見れないので専ら音が出ないTwitterやらネット記事やらを眺めたりしている。非常に生きにくい。ヤんなっちゃうよもうねぇ。まぁいい年こいて働いていない僕が悪いんですけど。そんなわけで家にいるといつ雷落とされるかもわからないので翌日は朝から外出することに決めその日はさっさと寝た。

 

翌朝と言いたいのだけれど、前日は17時まで寝ていたので何回か就寝中に起きてしまい、取り返そうと寝直したりしていたら昼の12時頃になっていた。その日は住民票取得と前の会社の口座振り込みに行く用事があったため、家を出ていく際にどこに行くか尋ねられたときのアリバイもバッチリだった。幸い父は仕事で忙しいようで尋ねられることもなく家を出ることが出来た。住民票と口座振り込みはすぐ終わり、18時まで暇になった。18時までというのは父親は家のリビングで仕事をしており、18時頃になると父は自室に戻り、その後ほとんど自室から出てこなくなる。勝ち確の時間までかなり暇があるのでとりあえず名古屋駅に向かった。

 

名古屋駅の近くのビックカメラの100均でやっすいイヤホンを買い、近くのマックで昼飯にした。昼飯のスパイシービーフバーガーとソフトツイストを頬張りながらこの辺に有名なサウナがあることを思い出し、思い立ったが吉日で早速行ってみることにした。

 

検索をかけていると名古屋駅周辺ではなく栄周辺だったので地下鉄で栄駅に移動し、目的地まで徒歩。ウェルビー栄というサウナ付きのカプセルホテルに到着した。

 

受付で鍵を渡されサウナ用パンツ一丁になり早速突入。サウナが売りの施設ということもあり、いくつかの種類のサウナがあった。普通のサウナ、森のサウナ、冷凍サウナ、アイスサウナそれぞれ特徴があるのだろうけど、サウナ初心者としては普通のサウナと森のサウナの違いはあまりわからなかった。森のサウナの方が狭く、セルフロウリュが出来て本場のフィンランドのサウナに近いらしいが、初心者が他の利用者もいる中でバシャバシャロウリュするわけにもいかないので他人任せのサウナという意味でどっちも大差なかった。冷凍サウナはひんやり冷たく居心地が良かった。枯れ枝の集めたやつをどう使うのかはわからなかったが他の利用者も使ってなかったのでそこまで重要でもないのだろう。そしてアイスサウナ、えーこれを考えたやつ相当バカです。室温マイナス25度。恐る恐る入ってみる、床に足を出した瞬間「ハゥワウァウヮ」と情けない声が出た。床だと思っていた数十センチ上から水面になっていた。足が水面に触れたとき少し割れる音がした、水面が凍っている、寒いなんてもんじゃない死だ。手すりも氷の上からさらに凍っている。このサウナの中で足滑らせたら死ぬぞという恐怖だけがあった。おおよそ把握した後さっさと出た。しばらくこの施設にいたがこのアイスサウナに入っていった人間はほとんどいなかった。当たり前だ、金払ってワカサギのいる池に足突っ込むやついるわけねえだろ。でも本当の「整い」、「リミットオーバーアクセル整い」に至りたい人間は進んでつかるのだろうな、そんな気がした。

 

一通り施設の中で出来ることを確認した後、サウナで「整い」を得る方法が書かれていたのでその通りにしてみた。サウナに入り洗体した後水風呂、これを3回繰り返すらしい。普通のサウナに入っていると従業員が入ってきてロウリュが始まった。「本日はご来店いただき誠にありがとうございます。今回のロウリュはオレンジアロマとなっております、是非お楽しみください」さながら大規模テーマパークのアトラクションのクルーのような言いぶりで石に水をかけていく。直後柑橘の熱風が裸のおっさんたちを襲う、おっさんはただひたすらにこれを耐えていく。おっさんはこの熱さを凌いだ後の水風呂、さらにはその後のビールという希望を信じ耐えている。

 

世の中ではサウナブームらしく、逆張り人間の俺はサウナのどこが良いのか半信半疑だったが、行ってみてわかったのはサウナは一種のマインドフルネスだということだ。現代人は色々なことを同時に脳内で処理しながら生きているが、蒸気のこもった部屋に長くいると次第に頭がボーっとして思考力を失っていく。それでも頭の中に残ったことは考えるに値することで、つまるところ残ったことだけ考えていればよい。今ここに集中することで無駄が削ぎ落とされていく実感がサウナの魅力なのだろうなと感じた。筋トレと近い気もする。そういえば筋トレもブームだったし、何かに集中することで様々な煩わしさから解放されるというのは現代人の目標なのかもしれない。

 

そんなことを考えながら、サウナを終えた。1時間だけいるつもりだったのに長いことボーっとしているうちに3時間経過しており2200円も支払ってしまった。九大伊都キャンパスの近くにあった伊都の湯どころは何時間いても550円くらいだったのであそこは良かったと昔を懐かしみながらウェルビー栄を後にした。「整い」を得られたのかはわからなかったが足取りは軽かったので帰りにミスタードーナツに寄ってゴールデンチョコレートを8個買って帰った。

 

sauna-ikitai.com

 

 


saunatime.jp

 

 

 

 

25+2022

25歳になったらしい。特に感慨はない。誕生日を迎えたときはゼミの仲間とオンライン飲み会をしていた。飲み会に集まったゼミの仲間を見ていると理想的な九大卒像からは離れている人間ばかりで良くない笑いが出た。何かしら生活に問題を抱えている人間ばかりに見えた。このゼミを選んだ時点で理想的な九大卒のレールからは外れたのかもしれないと思ったがそうでもないエリートもチラホラいるしわからない。それに、理想的に見える人間も当人はさらなる問題を抱えているのかもしれない。1つ言えることは九大卒としての理想に囚われるのではなく、自分にとっての理想に執着するべきだということだ。

 

飲み会での話で1番印象に残っているのは教授が俺のブログを褒めてくれていたらしいことだ。昨年卒業する時、ゼミ内で同人誌を作ることになり、特別書くことがなかったのでこのブログの1本目と2本目を載せることを許可したら掲載された文章を教授が見て、「文才がある」と褒めてくれていたらしい。いやあ、素直に嬉しい。俺は本を読まない性分で、年に1冊読めばいい方だ。本を読むのは面倒臭いし金がかかるし役に立つことも少ないので極力読みたくない。そんな思想の人間の文章を本をしこたま読んでいる人間に高く評価されるというのは意外で嬉しい。身内だから甘く見てくれているというのもあるだろうが、1本目や2本目を書いていたときは就活に精神が追い詰められていたから文章に魂の重みが乗っていた。就活したくないのに就活を避けられないという状況でなければわざわざブログで自分語りしようとも思わなかった。その辺のひっ迫感が読み応えに繋がったのだろうか。今はそこまで追い詰められてはいない。ウンコチンチンオッパイマンコ。マンコマンコマンコマンコニデッカイペニス。イレタライタイラシイオイドウナンダイドウナンダイ。イレテミヤショウソウシヤショウデッカイペニスイレタラアンマイタクナイカラガンガンイレチャウヨーソシタラジュセイシチャッテアラタイヘン。ウチノカケイジャコドモハソダテラレヤセンジャアオロスシカナイヨネオロソッカマダミヌコドモオロソッカアララニクカイニナッチャッタネキョウハニジュウクニチデニクノヒダ。
追い詰められていないからこれを書いたのか追い詰められているのかわからなくなってしまった。そんなのどっちでもいいんだ。

 

2022年の目標は東京に進出することだ。東京に行って色々見て回りたい。特に東京という土地にやられて気分が高揚している人間を間近で見てみたい。こんな風に観察者を気取ってはいるが俺も東京の風に当てられている側なのだろう、悪くない。

無断欠勤をしたらエライ人に自宅突された話

タイトルの通りである、それ以上でもそれ以下でもない。

 

今日は仕事が16時から入っていたのだけれど16時になっても家の中におり、テキトーにYouTubeでM1の準々決を見て笑いながらも内心不安でゾワゾワしていた。自分が悪いことをしているという自覚は確かにあったのだが、「仕事行きたくねぇ~」がそれを上回った。

 

仕事に行きたくない理由は2つある。1つは1月で派遣元の会社を辞めるので派遣先に行ったところで誰に義理を果たすことにもならないこと。もう1つは会社の先輩に怒られることが増えたことだ。いや、怒られるくらいのことで行かないなんてどうかしてると思われるかもしれないが、俺は嫌だね。俺にとって価値が低い事柄でも相手にとっては価値が高い事柄だから失敗すると怒りが発生するのだろう。場の強者は俺の価値観などどうでもいいわけで~。いいやこんなこと書いても意味ねーや、本題に行くぞい。

 

電話が鳴るのはわかっていたのであらかじめ電源を落としインターホンにガムテープを張って音を聞こえにくくする対策を施した後、YouTubeを見ながらノホホンと過ごしていると、18時前だろうかいきなりインターホンが鳴った。モニターを覗くと誰かおる。スーツの上からコートを羽織った男性と思わしき人物が立っていた。内心焦りながらもしばらく様子を見てみた。以前NHKの委託業者が来たこともあり、それが再来した可能性や、家賃の口座振替をしていなかったことを問い詰められる可能性も捨てきれなかった。今更部屋の電気を消して気配を殺しているとそれでも何度も何度もインターホンが鳴る。これはNHKじゃない、賃貸の人間でもない。自分がインターホンを鳴らすことに明確な正義感を持っている押し方だ。となると会社の人間しかありえない。電気を消し、耳栓を詰めてベッドに入る、もう寝よう、向こうからはこの部屋に入ってこれないのだからいずれ帰るだろう、100回ならインターホン押してもいいぞ、押せるもんなら押してみろ。そう思い寝ようと心掛けているとそれでもインターホンは鳴り続ける。「残念でしとぅあ~何回鳴らしてもそのドアは開きましぇ~~~ん」そう思いながらベッドに潜り込んでいると予想外の声がドアの向こうから聞こえてきた。「○○く~~~~ん(俺の名前) 開ける気がないならこっちから開けるよ~~~」なんだって。その言葉の意味がわからなかった。その直後ドアが開いた。ドアの前にいたのは派遣先の会社の人間ではなく派遣元の会社の人間だった。しかもそこにはいつも世話になっているヤツの他にその管轄で最も偉いヤツが立っていた。

 

ドアを無理矢理鍵で開けられちゃったらもうコチラとしては低姿勢で行くしかないわけで、「すいやせんすいやせん」とテキトーに謝罪した。向こうの言い分としては俺は先週の木曜日まで無遅刻無欠勤で仕事ぶりはカスだが性格は買われていたため心配になった派遣先の上司が派遣元の会社に電話し、わざわざ名古屋から来たらしい、ご苦労なこった。

 

明日からどうするのと偉い人から言われ、明日からも出勤するつもりは全くないです!と高らかに宣言すると「そうか…」となり明日からはもう無断欠勤する必要もなくなり、制服は世話になっている兄ちゃんに渡して完全に初めて就職した会社での生活が終わった。

 

なんとなく親元に帰るのが嫌だったので岐阜を出るのを1月にしてしまったので、1月まではこのクソ寒いド田舎にいることになる。岐阜での生活は最低だったが、岐阜の星空は今まで過ごした場所で一番キレイだった。ちょっとポジって終わっとく以上。