ストレスしゃかいにいきるぼくたち

 昨日は野球観戦に行ってきた。俺は熱心ではないものの一応鷹ファンでそろそろ交流戦バンテリンドームで若鷹達が観れるだろうと試合確認、予告先発が千賀対大野だったので当日の朝に行くことに決めた。

 ジムから帰ってきてから飯食ってシャワー浴びた時点で試合開始の30分前だったので少し遅れるつもりで準備を進めていたら、出発してすぐに財布の中に小銭しかないこと、キャッシュカードがないことに気づきあわてて帰って仕事帰りの母を使役しどうにか見つけそのまま出発。

 球場に着いたときには3回の表までゲームが進んでいた。試合が0対0のままだったことに安堵しそのまま最終回まで観戦した。ビジター用の外野席でバッターからは120mくらい離れていたものの、生で観る野球というのは良かった。選手や審判の動きが遠くからでも鮮明で今この場所で起きていることなのでテレビで観るときより集中して観ることができた。結果的に大差の試合になったものの、途中まではどちらが勝ってもおかしくない状況で見ごたえもあった、いやぁ楽しかったねえ。

 という感じで終われたら最高だったのだけれどそう上手くもいかないのが人生なのだ。自分の席の後ろの集団の大学生、コイツらが終始くだらないことを話し続けていて不快だった。ニュースサイトやゲームで聞きかじっただけの野球知識をここぞとばかりにひけらかし盛り上がっている。「この選手パワーないから遠くまで飛ばせないって(笑)」「コイツ足遅すぎだろ(笑)」「白井が~(笑)」と痛々しい身内だけで通用するノリを公の場で開帳されてしまった。

 でもこれは許す。なぜなら自分もこういうことをした経験があるから。というか大学生のとき、身内ノリを公の場であえてやるサッブイ行いを積極的にしていたのは自分だから、こいつらを注意する資格は俺にはない。こういう傍から見てると寒いのが内輪の中だと面白いというのはよくわかる。加えて大学生とはそういう生き物だから、群れて強がることでしか意思決定できない弱い生き物だから仕方ない。もっと言うと大学生だけじゃなく人間が集まってしまうと集団の力でルールやモラルを破壊してしまう。人間はひとりでは大したことなくても集まると途端に力を発揮できるそういう生物なのだから一連の行いは仕方ないし、この辺りがホモ・サピエンスの限界だろう。そういう弱い生物の受け皿として長く野球が存在しているとも言える。

 などと少しモヤモヤしながら試合は7回を迎えた。野球観戦では7回は他の回より頑張って応援する不可解なしきたりがあり、贔屓側の応援団長と思わしき人物が観客にしきりに応援を促していた。しかしなかなか観客が応援のために拍手をそろえたり大きな音で拍手しなかったのか応援団長の声に苛立ちが混じり始めた。「この回大事なんでちゃんと応援しようや」それまで俺はそれなりに拍手して盛り上げに貢献していたのだが、スピーカー越しのこの声を聴いたその瞬間に一気に冷めたのと同時に苛立ってきた。俺は野球を観に来ているのであって、バカみたいにデカい太鼓の音を聴いたり手を痛くなるほど叩くためにこの場所にいるのではない。金銭を支払って楽しみを得に来たのに金も払わずに来ている分際でさらに何かを要求する人間を許せなくなった。結局最後まで応援には応じず速報でピッチャーの投げたボールのコースと変化球を確認しながら観戦した。自分だけが冷めたのかと思っていたが左前に座っていた自分と同じくらいの歳の兄ちゃんも何か言いたげな顔で応援をしない態度をとっていたので自分だけではなかったのだと確認できた。他にも2割くらいは責任感に自意識が飲み込まれた団長の指示に逆らっていた。戦場だったら殺されていたかもしれないが戦場ではないので殺されることに怯えることもなく無視し続けた。

 嫌なこともあったが贔屓のチームが試合には勝ったのでそこそこ良い気分で帰りの電車に乗っていると、試合後で混んでいる列に突然割り込みをする者が現れ、腹が立つ思いを抑えながら帰路に就いた。

 ご存知の通り俺は無職なので普段赤の他人と接することなく生きている。これが少し外に出ただけで2000字起こしたくなるくらいのストレスだ。これを見ている皆の多くは働いて自力で生きている人間だろう。そのたびに多くの不快、怒り、悲しみとともにあると思うとただ頭が下がるばかりである。